住職法話

ある女の子の興味

住職法話| 15 /23

琉璃燈第23号掲載

るりとう23教会や寺社仏閣は特に週末は行事が立て込みます。結婚式、法話会、婦人会や青年会、座談会など、様々な行事があります。

お寺の場合どうしても土曜、日曜など週末は法事が入り、それが幾つも重なってしまいます。

私が、住職になって間もないある日曜のことです。

街なかの会場で法事があり、それを終えて次の法事の場所へ向かう時の出来事でした。

一軒目の法事が思いの外、参列者が多く長引いてしまいました。幸いなことに次の場所までは歩いて行ける距離です。

それでも約束の時間に間に合わないと慌てて商店街を抜けたのですが、大通りの横断歩道の信号に引っ掛かってしまいました。

その近くには大きなデパートもあり、日曜日ということもあって、たくさんの人が信号待ちをしていました。

皆さんも経験があると思いますが、急いでいる時ほど信号が長く感じられるものです。

早く信号が青にならないかなと思いながら横断歩道のところで待っていると、何となく人込みの中から視線を感じ、その方に目をやると、5才か6才ぐらいの女の子が私をジッと見ています。

右側から覗いたり、左側から覗いたり、後ろに廻ったりと、よほど私の存在が気になったのか、まるで未知との遭遇のように、ありとあらゆる角度から私を観察しています。

信号待ちしている人たちもその雰囲気に気づき、私や女の子をチラチラと見たりしていました。

女の子はとうとう意を決したかのように私の正面に立ち、頭の天辺からつま先までじっと目を凝らした後、やがて満足したかのようにベビーカーを押している母親の方へ、トコトコと歩いて行きました。

見たところ、もうひとり幼い子供を抱えた、年の頃25~26才の女性でした。

その子がお母さんの傍らに行ったと思った、次の瞬間、女の子が大きな声で、

「お母さん、あの人、変!」

と叫ぶように言ったのです。

周囲の人達もそれまでの状況から察して、女の子が言っている人物は私であるとすぐに感じたようでした。

お母さんも子どもに負けないぐらいの大きな声で、

「変なこと言ったらダメ!」

と叱るように言いました。

すると、女の子は間髪入れず、

「だってあの人、毛がないんだよ! それに変な服着てる!」

と、また大声で言うのです。

すると、お母さんは、

「あの人はお坊さんだから、毛がなくてもいいの」

と、答えました。

女の子はさらに続けて質問しました。

「ねえねえ、お母さん、お坊さんて何なの?」

きっと、その女の子は、僧侶という存在を見たのは、彼女の人生で初めての経験だったのでしょう。

毛がないというのは剃髪をしていることを指し、変な服とは、きっと御衣を着ていることを言ったのでしょうね。

しかし、さあ、この若いお母さんが「お坊さんって何なの?」という質問に何と答えるのか、私は興味津々になりました。

すると、横断歩道の信号が青に変わってしまいました。

しかし、次の場所へ急いでいるとはいえ、この若いお母さんの答えを聞き逃すわけにはいきません。

私は、ベビーカーを押すお母さんに、歩調を合わせながら、ゆっくりと横断歩道を渡り始めました。

ふと周囲を見回すと、その子供と母親のやり取りをみていた人たちが、みんなゆっくりと歩調を合わせて歩いているではありませんか。

その若いお母さんがなんと答えるか、答えを聞きたかったのは、私だけではなかったのです。

横断歩道を歩きながら、母親は子供の質問に、こう答えたのです。

「あのね、お坊さんってのはね、いつもはお寺っていうところに住んでいて、誰かが死んだら、そのお寺っていうところからやってくるの、そして、そのお坊さんがお経っていう、訳の分からない言葉を、むにゃむにゃって唱えるの、そしてそのお経が上手か下手かで天国に行くか地獄に行くか決まるのよ。人が死んだら来るの。」

一緒に歩調を合わせながら、その母親の答えを聞いていた、周囲の人たちも「うんうん」と頷きながら、その場を立ち去っていきました。

私はその答えに多少驚きながらも、そのような認識に苦笑いする思いでした。

それでは、この若いお母さんのお坊さんに対する認識は間違いなのかどうか、考えてみましょう。

仏教では「天国」とは言いません。皆さんがよく使う「天国」はキリスト教などで使われ、仏教では「極楽」と言います。

ちなみに私は、天の国より、楽しみを極めると書く「極楽」のほうが好きですが。

母親が、「誰かが死んだら、お寺というところからやってくるの」と答えたように、一般的には僧侶の仕事はお葬式、法事が一番手の仕事のように思われているようです。

確かに僧侶に接するのは、日常的なことではなく、葬儀とか法事の時に接することがほとんどで、そう思われても仕方ないかも知れません。

しかし、実は、お葬式は僧侶にとって、二番手、三番手の仕事であり、決して一番手の仕事ではないのです。

こう言うと、世間一般の皆さんは、

「えっ! お坊さんの仕事は葬儀とか、法事じゃないの?」

と思われるかも知れませんが、僧侶にとっていちばん大切な仕事は、もっと別なところにあるのです。

その、御教(みおしえ)えによって進むべき道を示し、法を説くことが、私たち宗教家が成さなければならないもっとも重要な仕事です。

「こんな時には、こんな思いで」

「こういう時には、このような考えと行動で、進むべき道に迷った時には、道を示す」

要するに、その、御教(みおしえ)えにより布教をすることが宗教家として、いちばん大切な務めであり、成さねばならない仕事なのです。

本来、宗教とか信仰は、決して敷居が高く、近寄りがたいものではなくて、皆さんと共にあるもので、そうであることが、宗教家の使命であり役目なのです。

人は、それぞれ、生きているうちに知らず知らずのうちに、役目というものが備わってきます。

人として、そして職業を通して、それぞれに与えられた環境の中で、皆さんも、自分の使命は何だろうと、もう一度考えてみて下さい。

「天上天下唯我独尊」世界にたった一つの尊い命です、貴方にしか出来ない貴方だからこそ出来る、貴方に与えられた使命が必ずあります。そこには必ず自分の成すべき道、進むべき道が見えてくることでしょう。

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