住職法話

あたりまえ あたりまえ

住職法話| 14 /23

琉璃燈第22号掲載

るりとう22小学5年生の兄弟が親に連れられ法事のため寺にやって来ました。

男の子二人と女の子一人の三つ子の兄弟です。

法要が始まるまでの間、境内を走り回ったりして遊んでいました。男の子の兄弟の一人は身体が不自由で一緒に走り回ることは出来ません。しかし時折その兄弟のところに駆け寄って同じように遊ぶ姿はとてもほほ笑ましい限りでした。

 

法要前にご両親が「今日は、子供も同伴しております、小さい頃から手を合わせることを習慣づけ、仏様に向かい会うことを学んでくれればと思い連れてきました。法要中に失礼なことがあるかもしれませんが、何卒ご容赦下さいませ」とご挨拶にこられました。

 

子供は騒ぐので法事に連れて来るのを遠慮される方々がおられるなか、とても良いことだなあと感じた次第です。

やはり、子は親を映し出す鏡、親の思いが子に伝わるのでしょう、法要中は何の支障もなくその兄弟は静かに手を合わせていました。

 

法要の後、法話をするにあたり、この子供たちにも解ることを題材にしようと思い、子供たちに「いつもご両親からどんなことを言われてるかな?」と質問しました。

すると女の子が「ちゃんと宿題はしたの!」とか「ちゃんとご挨拶しなさい!って言われる」と、答えました。

まあ、どこの家庭でも交わされている会話ですが、男の子が思い出したように

「感謝が足りん!もっと感謝しなさい!って時々言われる」と答えました。

 

では、「感謝って何かわかる?感謝って何だと思う?」と訪ねると、男の子が「何か自分が得したときに感謝するよ」続いて女の子が「なんか嬉しいことがあったときに感謝します」と答えが反ってきました。

そこで、その兄弟にこんな質問をしてみました。

「朝、顔を洗うときに感謝していますか? 水道の蛇口を回すとお水が出るでしょ。もしお水が出なかったら顔も洗えないでしょ、東日本大震災のときには水道も電気もガスも遮断され生活に支障をきたしてとても困ったんだよ」と話をすると、男の子が「じゃあ、トイレも使えなくなって、お風呂も入れなかったの?ご飯も作れないんでしょ、そんな不便な生活できないよ!」と、困った顔をしていっていました。

さあ、皆さん方もどうでしょう、日常のお炊事で、今日もお水が出てお野菜が洗える、お米が研げる、有り難いなあと感謝している方は少ないのではないでしょうか。

普段、身の回りにあるものは「あたりまえ」になってしまい、そこには感謝の心は芽生えてこないものです。

こんなふうに「あたりまえ」と思っていることにこそ感謝しないといけないんだよ、と話をすると、子供たちは、「和尚さん、じゃあ全部に感謝だね!」と、はしゃぐように言っていました。

喜びも、あたりまえになれば喜びでは無くなり、感謝の思いと感謝の心も無くなってしまうでしょう。苦しみばかりの人生にも、喜びばかりの人生にも感謝の思いと心は芽生えないものです。

苦楽をともにするからこそ、そこに感謝の心と思いが生まれてくるのです。

私たちが普段忘れている、「あたりまえ」のことにこそ改めて感謝しなくてはなりません。

 

過日、韓国で修学旅行生を乗せた海難事故がありました。きっと子供を送り出すときには、親は「修学旅行楽しんできなさいね」と、そして、子は「おみやげ買ってくるから楽しみにしてて」と、まさか帰らぬことになるとは思いもせず、楽しい会話がはずんでいたはずです。

 

そう考えると、子供が学校に行って無事に帰ってくるのがあたりまえ、夫が仕事に行って帰ってくるのがあたりまえと、そのように思い、生活をしている事を改めて見つめ直し「感謝」という事について考えなければなりません。

 

「なんだこんなこと」とか「こんなことどうでもいいや」と思えるようなことほど大切にし、粗末にしてはいけないということです。

子供が「和尚さん、じゃあ全部に感謝だね!」といったように、身の回りの「あたりまえ」にもう一度心を傾け感謝の思いを見つめ直しましょう。

 

改めて

「あたりまえ あたりまえに感謝!

この身体とこの命、そして、それを支えてくれているすべてのものに感謝!」

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